社畜とファミコンの迷作

僕が好きなブログの一つ、『ニートの海外就職日記』。

会社に人生を捧げ、サービス残業や劣悪な労働条件に文句も言わず働くことで、結局自らの首を絞める。そんな人々を「社畜(会社に飼われた家畜)」と呼び、海外で働いている経験から日本の労働環境のおかしな点を指摘している面白いブログです。

最近の記事でも、「遅延証明書に見える、いかにも日本らしい非効率さと理不尽さ。」のように、無意味で非効率な慣行を指摘されていて、実に同感です。遅延証明書を要求して怒鳴っている人とか、昔から滑稽だなぁと感じていたので。

で、このブログの記事をいろいろと読んでいて、あるファミコンのソフトを思い出しました。

それは、「マイライフマイラブ」。

簡単に言うと、すごろくで進みながら各種イベントをこなす、人生ゲームです。しかしこれが子供向けの可愛いグラフィックとは裏腹に、妙にリアルでグロテスクな現実を描いたゲームなのです。

子供時代はちょっと努力すれば1位になれるが、小学校・中学校・高校・大学と進んでいくうちに上位を取るのが加速度的に難しくなっていく。いくら頑張ってもトップを取るのは難しい。そして楽しいイベントのほとんどは成人するまでに終わり、社会人になってからは毎年毎年同じようなつまらない日々をひたすら繰り返すだけ。ゲーム的には100歳の寿命になるまで終われないので、この無間地獄とも思える繰り返しをひたすら何十年分も続けなければならない。そして頑張って友好度を上げた友達がある日突然死んだりもする。

で、その繰り返し人生の中で気付くのは、子供時代に努力しまくろうがそうでなかろうが、ごくごく一部のトップクラスを除いては結局大差の無い、似たような人生に収斂していくこと。あの努力は意味があったのかな、っていう。

なんか無常を感じるというか、いわゆる社畜な人生を我慢しながら過ごすよりも、どうせ一回きりの人生なんだから自分のやりたいように楽しまなきゃもったいないんじゃないか、と思いました。ただ僕は会社員というものを経験した期間がほとんどないので、社畜と言われるものの実態がどれほどひどいのかは分かりませんが。でも先に挙げたブログやファミコンソフトを見ていると、そういう思いが浮かびます。

 

日本の社会は、みんなが足を引っ張り合い、「俺が苦労しているんだからお前も苦労しろ」の無限循環が続いて、総不幸社会になっているような気がします。そうではなくて、「俺は楽をしたいからお前も楽をしていいよ。そうするために効率のいい働き方をしようね」っていう方向にいけばみんな幸せになると思うのですが、どうしてそうならないのでしょうか。

昔と比べて何もかもが便利になり、あらゆるスピードが上がり、通信なんか一瞬で世界中と連絡が取れる時代になったというのに、なぜ仕事時間を減らせないのか? 技術革新によって、書類作成や事務作業、通信などにかかる労力や時間の効率は、たとえばほんの30年前と比べたって何百倍、いや何千倍以上にもなっているはず。なのに今でも「忙しい、忙しい」と言っている。これは効率が何千倍になったけど、仕事の量自体も何千倍になったからなのでしょうか。そんなわけないですよね。だとしたら、みんなが「忙しぶっている」か、あるいは無意味な仕事をして無駄に忙しくなっているだけか、ということなのでしょうか。

右肩上がりの高度成長が一国で永遠に続くことはありえないし、そもそも資本主義社会自体の行き詰まりも指摘されてきています。そろそろみんなで無駄な足の引っ張りあいや奴隷自慢・不幸の連鎖を止めにして、低成長経済を受容しながら「ほどほど」を目指していくべきなのではないかと僕は考えています。

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